風待ち通常活動

2008年9月 1日 (月)

建物調査

8月25,26,27日と東北工業大学建築学部の学生による、地域の民家調査がありました。

25日は、唐桑御殿 K邸

26日午前 内松川 K邸、午後 内松川 K邸

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床の落掛には、なんと紅葉模様がありました。

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社寺建築風の玄関

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母屋のほかに土蔵、乗り込み(長屋門)、馬屋、板倉と建築物の数も多く、休む間もなく午前が終了。

午後は、別のK邸

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床の間のケコミは、麻の葉模様と亀甲模様。

目につきにくい部分にも装飾を施す当時の匠の気概を感じます。

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茅葺民家の屋根を瓦葺に変え、緑の中に悠然と建っていました。

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こちらのK邸も母屋のほかに、規模の大きい馬屋、板倉などがあり数班に分かれての作業となりましたが、皆なかなか見ることのできない民家を前に嬉々として作業をしていました。

学生のために、住まいを公開していただいた皆様方にお礼を申し上げます。「ma」

2008年5月12日 (月)

八瀬地域の建物群

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気仙沼市新月・月立地区は山間部の農村地域で、緩やかに時が流れる・・・の表現がぴったりな所で心が伸びやかな気分になります。

この地域一体には、地域の歴史・生業を伝える古い民家が実に沢山残っている貴重な地域です。

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市内の中でもこれだけ残っている地域は珍しいので、これからも大事にしたい地域だと考えています。

また、地名の「八瀬」は平泉からの街道筋に東山~大原~八瀬と、京都にちなむ地名がついているのがポイント!平泉までの塩の道?黄金ルート??などと想像たくましく出来るのもこの地域の魅力でも有ります。「文責 ma」

2008年3月21日 (金)

隅きり

風待ちエリアを歩いていますと、道路整備で驚く事があります。

T字路などの角は、決まって隅きりされていたのです。昭和初期あるいはそれ以前から、道整備に係る要綱が出来上がっていたと思われます。

隅きりされると土地は扇型の角ができますが、この地の建物はその変形敷地なりに建築されており、実に面倒な仕上げが施されています。

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変形ゆえ、廊下角の仕上げ、建具(障子)が付く柱は隙間が出来ないように5角形、畳も特注、天井の棹縁の納めも角度が違うなど手が込んでいます。

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5角形柱と廊下の納め

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廊下天井の収め

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室内天井のおさめ

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変形畳

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外部

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隅きりと建物 

風待ちエリアの建物それぞれは、多くの事を語りかけてくれる気仙沼市の大事な歴史資産であると思います 「ma」

鷹揚な時代

国登録有形文化財「男山」この建物は、登記簿に「木筋コンクリート三階建て」と記載されています。

調査時、この記述をどうするか?で悩みましたが、ウォッチング説明時には土蔵造ではありますが「登記簿」には木筋コンクリート三階建てと書いてあります。と、話しております。木筋とはなんともユニークな構造体名称(竹筋コンクリートはあります)で、それがそのまま通ってしまった昭和5年頃と言うのはなんとも鷹揚な時代と言いますか・・・。

今は、建築基準法はさらに厳しくなりこんな名称は絶対に有り得ませんが、当時の世相を物語り、時代が分るとても面白い名称だと思います。

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昭和6年に、高村光太郎が気仙沼を訪れています。海から気仙沼入したわけですが、彼が一番最初に目にしたのはもしかしたらこの建物だったかもしれません。そう思うと、この前に(当然、現在公園のように整備はされていませんでしたが)立つ、高村光太郎の姿が目に浮かびます。

50年以上も過ぎた建物を「歴史的建造物」と呼ぶことがありますが、時代を経てきた建物は、建築時代を含め長い時の歴史を今に物語る大きな参考書そのもので、そう考えると木筋と言う摩訶不思議な呼称も何とも愛らしい表現だと感じます。

気仙沼全滅!と報道されるような昭和4年の大火の後、焼け野原状態の中で昭和5年に建ったこの建物を見て当時の人々は(3階建ての建物を見ることも少なかったでしょうから)驚きと賛美の目でこの建物を見上げた事でしょう。

そう思えば、「木筋」などと有り得ない表現は使ってはいけないとの見方も有りましょうが、今後も残していきたい表現ではあります。「文責 ma」

2008年2月29日 (金)

古川家

先日、解体現場に行きました。

今は分別が義務付けられていますので、丁寧に解体されているので幾分心がホッとします。

昭和19年に南町に火災が有った折、古川家も罹災しましたがその時の梁が出てきました。

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罹災後の修復時は厳しい時代で、芯がしっかりしていたものは使い回ししたようです。

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二階大広間の手すりの跡です。丸と四角の形状に刻みを入れて丁寧に造られていたのがわかります。

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大広間と小宴会室を繋ぐ廊下部の庇ですが、それを支える腕木は斜めに取り付けられその下には小枝でまた支えています。

小枝を使ったり、細垂木をあわせるようにして突き出し意匠を凝らす辺りは『粋』さを感じさせます。

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建具が無くなっても風格を失わないのは流石です。「文責 ma」

2008年2月26日 (火)

こちらも斜め

魚町のお宅を拝見する機会を得ました。

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廊下の太い丸桁が力強さを感じさせます。

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「おかみ」は吹き抜けになっていて十分な採光が得られるよう工夫されていました。

吹き抜けのため、前二階、後二階と部屋を分け、階段も二箇所設置されています。

前二階は、床と床脇が有り、客用の部屋で、後二階は家族用になっています。

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前二階、書院の組子模様の精緻な事!

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油煙抜きの模様も綺麗で、流石昭和初期の建物の技!と魅入ってしまいました。

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ここもやはり、しっかり斜め仕上げ!この町の特徴がしっかり生きていました。「文責 ma」

2008年2月20日 (水)

古川家土蔵

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古川家さんの中庭には「和洋折衷」の不思議な形をした土蔵があります。(まだ、解体していませんから)

本来、入り口の雨よけのために設置する庇を止め、洋風の入り口に作り変えたのでは?と思います。

昭和19年に南町に火災が有り、古川家も罹災し翌年改修が行われ現在に至っていますが、土蔵もその時にでも直したのか?今となっては詳細が分りません。

この土蔵も間も無く解体されます。「文責 ma」

2008年2月18日 (月)

古川家内部

解体する前に以前撮り残した箇所の撮影をしたいと行きましたが、残念ながら既に解体は始まっており、殆ど撮影が出来ない状況でした。

以前の調査の折に、画素数の低いデジカメで、しかもぴんボケだった小宴会室をほんの少しだけ撮影が出来ました。

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8畳ほどの小宴会室ですが、天井が素晴らしかったのです。格天井の1マス毎に天井板の模様を変えて造られていました。

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床の間-落とし掛けは、亀甲竹。壁の若草色も華やかさを演出しています。

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隅の壁は松ビシ模様にカットされ、外部建具の組子模様が美しく浮き出していました。しっかり撮影できた時がこれを見る最後と言うのも悲しいものです。「文責 ma」

2008年2月11日 (月)

解体

明日から、古川家さんが解体されるそうです。

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消えるというのは・・・辛い事です。 「文責 ma」

2007年6月 9日 (土)

店米山武さん、放送!!

国登録有形文化財『武山米店』さんに、密着取材し、その生活や食などが放送されるとのことです。

NHKBSハイビジョン「おなじ屋根の下で」

放送日:H19年6月14日(木)22:00~22:50

再放送:6月19日(火)12:00~12:50

ですので、是非ご覧ください。

建物の魅力は、住み手が居てこそ存分に発揮されると思います。

店米山武さんは、「あがらいんや」提唱者でもあり、今まで多くの方々に建物内部まで公開してきました。

自宅内部見学は実に珍しい事で、見学に訪れた方々は一様に驚くと共にとても感激して帰られます。

そんな優しさ溢れるご家族ですので、建物の魅力とご家族の魅力がどの様に放映されるかとても楽しみです。 『文責 Ma』

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http://takeyama.weblogs.jp/takeyama/

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