恩賜郷倉
恩賜郷倉(オンシゴウソウ)は、昭和9年東北地方の凶作に心を痛められた天皇の命により、翌年から東北各地に米の備蓄を目的に建設されました。
例えば、新月村には6棟、○○村には5棟のように各地域にかなり建てられたようです。
その郷倉も、残っているものは実に少なくなりました。
換気用の小窓も付いており、宮城県内の郷倉は菊の紋章をかたどったような印が両妻側に付いているのが特徴です。
僅かに若草色が残っていましたが、当時からの色なのか、塗り替えたのかは不明です。
恩賜郷倉の基礎は、通気を考えてか高く作られていますが、これが仇になり、床下に穴を開け『米泥棒』が入ったとの話も有ります。
また土台には、四隅に模様付角金物が使われています。
内部の、筋交と金物の施工状況です。
備蓄としての役目を果たすと、農協の集荷所--地区集会所などに転用されたり、土地の持ち主、或いは入札により地区民に払い下げになり現在に至っています。
尚、地域の方々は、郷倉を板倉とは言わず『ゴウソウ』と呼んでいるようです。郷倉と呼ぶことに誇りを感じているように思えました。 『文責Ma』
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